昨年の被災当時、我が家を含む緑井7丁目におきまして倶楽部や地域など、多くのボランティアの皆様に大変お世話になり、改めて御礼申し上げます。豪雨災害から1年の8月20日、家族や緑井の近所の方と、国際会議場での合同追悼式に参列し、その日の夜は、被災した自宅のすぐ近くの公園などでの竹灯篭を使った二つの追悼行事に参加しました。
この追悼式では 広島市消防局音楽隊による追悼にふさわしい伴奏が終始流され、これからのことを前向きにとらえていくことにつながる、思い出に残るいい式となりました。新聞では、国県市の関係者ら約1100人が参列したと報道されてましたが、遺族を代表して2人の方があいさつされ、安佐北区の宮本さん(75歳 女性)は 「夫と(自分の)左足を失い、生活は一変したけども、いろいろな方に助けられて今の自分がある。母のような原爆による犠牲者、災害での犠牲者が二度と出ないようにして欲しい。今後は何とか前向きに生きていきたい。」旨を語られました。
このお話を受けて会場全体が司会者さんをはじめ、自分も妻も涙涙で心にしみることとなりました。哀しみを乗り越えてという気力というか気持ちが湧き出てくる追悼のお言葉で、宮本さんや安佐南区代表の沢本さんに感謝の気持ちで一杯になりました。
地元の八敷公園では、山本恵由美さん、修大ボランティア、地域の有志等の皆さんの取組によるひまわりが満開となっていたところ、自治会等による追悼の集いなどにおいては、ひまわりが復興のシンボルとして地域のつながりが深まったことに感謝の声があふれていました。
我が家の裏山には 、2つの砂防ダムが建設されることになり、立ち退き交渉や移住先をどうするかは悩ましい限りですが、今後とも被災地への支援のほどお願い申し上げます。
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