もりメイト倶楽部の里山部会では、会員の 松村允雄さんが中心となって
竹炭作りをおこなっています。
今回、炭焼きを始めたきっかけやノウハウなどを
松村さんによる全9回のシリーズでお届けします!
初歩の炭焼き講座
(報告:4班 松村允雄)
第1部 年寄りの独り言
1.プロフィール
私は昭和9年生れ、平成26年80歳の傘寿を迎えました。
もりメイト倶楽部では年齢はトップ2にランクされますが、何時まで現役で居られるか秒読みの段階に入っています。
里山部会で竹炭を作っていますが後継者が居るようで居ないのが現状です。
炭焼きの経験者は沢山おられますが、山から木を切って、焼いて、お客さんに渡るまでの一連の流れとなるとそうは居ません。
炭を焼く作業はその一過程なのです。
「お前がやりすぎるからよ」と言われるかも判りませんが、時間と忍耐の要る仕事だと理解してください。
そうした事から炭焼きの煙を絶やさない為にもこの講座を書いておくことにしました。
2.炭焼きの動機
広島生れの広島育ちですが、父親が下松市の出身で、僅かな田圃と山を残して昭和49年に亡くなりました。
その一部を相続したわけですが、すでにその頃から農山村の荒廃が始まっていて、わずかな田圃も代って耕してくれる人もなく、
裏山に先祖の墓地があるため放置する訳にもいかず、広島から田の草刈りと山の手入れをする為、年に数回通うことになりました。
平成3年の台風19号(広島でも58mの風が吹きました。)で我が里山も荒れ放題になり、何とかしなくてはとチェンソーを買ったのがチェンソーとの付き合いの始まりでした。
知識がゼロですからエンジンがなぜ掛からないのか理解できず苦労しました。
刃の研ぎ方も知らないので(説明書を読んでいなかった)切れなくなると新品の刃に変えたものです。
ただ草刈りをする為に広島から1時間もかけて下松まで辛い仕事をしに行くのでは長続きしません。
新しい楽しみを見つける為に田圃に花菖蒲を植たり、梅・イチジク等を植えて収穫を夢見ました。
平成10年KDDIのパンフレットにドラム缶の炭焼き窯の紹介があり、山の雑木が炭になるなら面白いと炭焼き窯の製作に手を染めました。
当時は炭焼き教室も無く、指導書も有りませんでしたので全く手探りの状態でした。
当時自動車販売店に勤めていましたのでガソリンスタンドからドラム缶を買って、挿絵をもとにして板金屋さんにカットをお願いし、窯の原型を作りました。
又、この年は後述「もりメイト養成講座」の受講の年でもありました。
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