石畳が敷き詰められ古びた路地、小学校2年生の時、親に連れられて旅した思い出の地。今も当時の面影が残っている。小学2年生の土曜日、当時は半ドン(午前中の授業)だった。昼すぎてから出発と親から言われて学校に行くが待ち遠しく授業も手につかない。とうとう2時間目が始まる前に、『先生、今日は旅行なんでもう帰る!』と言ったが最後、トットト家に帰ってしまった。弟はのんびり昼頃に幼稚園から帰ってきた。それから、タクシーに乗って新見駅まで、その当時タクシーに乗ることも滅多に無かった。新見駅は地方の駅としては珍しく改札を通ると地下道を潜ってホームに出る。伯備線の米子方面は4番線である。まだ、蒸気機関車が全盛の頃である。D51型、C58型迫力ある車体が通過するとボイラーの熱気を感じる。客車に乗ると窓を開けて外の景色を眺めることになるが、米子方面はトンネルが多く開けっ放しだと、粉塵の混ざった煙を吸うことになるので 半分くらいしか開けない。米子駅で境線に乗り換えである。が、ここで時間待ちのため途中下車して駅のレストランで遅い昼食。昔のレストランは独特の匂いがしていたように思う。 子供の頃のレストランとか食堂で食べる定番はカンスイで打った中華そばである。シナチク、なるとが必ず入ったしょうゆ仕立てのスープに油が浮いて いるやつ。程なく、列車にのり境港へ向けて出発。米子平野の田んぼの中に所どころ看板の塔が建っている。「カンコー学生服」とか、「○○清酒」とか 境港駅に着くと、境港まではすぐであるが、海岸沿いを歩くとかなりの距離に思えた。(小学生だから歩幅は今の半分くらい?か、となるとその当時地球は今の倍くらいの大きさに感じていた?)
2007.05.05
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